それがある場所

何か言いたいこと、伝えたいことがあるような気がしていたのに、

その時は思い浮かばず、そしてこの次に、もし会える時、あるいは

話すタイミングがきた時に、思い出せないと悔しいので・・・

忘れっぽい自分自身が、いつでもここへ帰ってくることが

できるように・・・・






私たちは、それがある場所を

おそらくみんな知っているのではないかと思います





それとは、直線の本質のようなものです




直線とは、本来、どこまでもとぎれることなく続く一本の線のことで

地上には存在しません




地球はまるいので、地上で描かれる線のすべては

どこかにゆがみを潜ませています




私たちが直線とよんでいるものは、性格には線分とよばれる

直線の一部分のことで、私たちは便宜上それを直線と

呼び習わしているのですが、それは本当の直線では

ないのだそうです



じゃあ直線なんてないんじゃないかというと

それがそうでもなくて、それは、私たちの思いの中に

存在する




どこまでも無限に続く一本の長い線を

私たちは思い描くことができる




思い描くことができるのなら、それはその時空に存在するのです

だから、それはそこにあるのだと、私は思います




それは、失われることも、損なわれることもない、

物事の本質がある場所のことを指すのではないかと思います





そして、それを知ること、思い描くことができるのは、

地上では人間だけなのではないかと思います




なぜって、そんなことを知っていても、地上で

ただ生き延びるためには役に立たないからです



エサをとっておなかを満たすことにも

敵から身をかわして逃げおおせることにも

この力は何の役にも立ちません




そして、だからこそ、

これこそが、人間が地上にいる理由なのではないかと

私は思います





人間はただ生き延びるためだけに

地上にいるのではないのだという

何かの手がかり・・・



自然や野生という生命が生きる場所を基準に考えたら

人間という存在は、あまりにか弱く、脆いものです

けれど、それを思い描くことができるという

たったこれだけの力が

どこかで生を投げ出したくなったときに

ここに留めてくれる、なにものかではないかと思います

迷うとき、苦しいとき、そのときこそがまさに

それがある場所をもう一度思い出す引き金になってくれるのでは

ないかと思います

その灰色の重い雲の向こうに

人間だけが知ることのできる

それがある場所がある

人はそれを知っている

だから、苦しむことも悩むことにも

立ち向かっていこうとするのではないかと・・

そんな、なんの役にも立ちそうもない活動をしているのは

きっと人間だけです




そんな、どうにも愛し得なさそうなことをして

そんな自分自身を愛そうとするのも

たぶん人間だけです




人間のいまの科学では

もう癒しえない病を患った肉体の人がいること

その事実に直面したとき

圧倒的な無力感に打ちのめされると思います




それが自分にとって大切な人であれば

なおさらです

私には想像もつきません




思いが現実を作るという

スピリチュアルの常套句を用いれば

なおさら悲しくもなります



こんな現実を引き寄せている自分は

一体、どんな思いを持っているがために

こんなことになったのか・・・



自分を責めたくもなるし、神も宇宙も呪いたくなって

当然だと思います






でも、私たちは最後まで思い描くことだけはできる


その人が元気に走り回っている時空

笑っている時空

楽しんでいる時空

喜んでいる時空

踊っている時空

歌っている時空




身体はどんなに病んでいても

その人が存在するすべての時空時間のなかに

ありのままのその人の本質が存在している場所が

確かにあるのではないかと私は思います




やっぱり、人間は肉体的な存在だけとして捉えるには

計り知れないほどのなにものかを

内側に託されて地上にいるのではないかと・・・





そして、ホリスティックに全体的にその人を観るというのは

そういう損なわれていない純粋なその人の質までを含めて

捉えるということなのではないかと思います



見えない、けれど思うことができる


見る前に、観ている



もしかすると、こういう考え方は

ある種の現実逃避なのかも知れません


でも一方で、損なわれていない現実を見ることから

目を背けるのも、現実逃避の一部なのではないかと思うのです


何が本当の現実なのかは誰にもわからない

誰にも現実など見えてはいない


だからこそ、見えてはいない現実と

可能性がある場所に思いを馳せる自由もある





そんなこと、そんなことを言いたかったのでした