指輪に始まる

ああ、やれやれと1日を終えて

ケーブルテレビのチャンネルをつければ

なんのご縁か、映画『Load of the Ring /王の帰還』が

いままさに、始まりますよ〜 というタイミング




見る度に、気づかされるシーンや

セリフが変わる、奥が深い物語



大好きな映画だけれど

気分的には、天才バカボンとか見て

アホクサ〜と大笑いしたいモードなのに

それでも律儀に映画に付き合う自分を

立派ともクソ真面目とも

ファンタジーオタクとも

好きだね〜とも言っているもう一人の自分がいて

それは誰なのだろう・・とも思いつつ

映画に付き合うこと3時間




今回心に残ったのは

絶望の前に立たされた時の人間の在り方



この映画は人類危うし!ダメかも・・のシーンが

よく出てくる




屠れども屠れども、軍隊アリのようにザワザワと

沸いてくるオークの軍勢に、貧相な肉体の人間なんぞ

勝てるわけないじゃない・・と常識的には思う




それでも、人間、あきらめない

いまできることを、いまここでやる

少ない可能性でも、それに賭けてみる



最後の希望と絶望を前に

どうせ、やっても無理に決まってるジャン

と、あきらめる勇者はいない

(それでは、どんな物語も始まらず、終わらない)




死を覚悟して時が来るのを待っている間に

魔法使いガンダルフが、ホビットに静かに語る

「その先」で待つ、光あふれる世界の物語



「旅は終わらない」




そうだ、今回はこのひと言がきっと、

いちばん聞きたかったのだと思う





力の指輪を葬るという過酷過ぎる使命に

フロドが力尽きかけた時、

フロドを担ぎあげてサムが言い放つ

「私には指輪の重荷は背負えない

でもあなたを背負うことはできる」



愛という名詞が動詞になるのは

こんな瞬間なのではなかろうか



これを友と呼ばずして何を友と呼ぼう?




重荷というのは頭の中、観念の中にしかない

人間の幻想だけれど、

背負った人には、その人にしかわかりようのない圧迫感

拘束感、窒息するような苦しさがあるもの




けれどその重荷を抱えた自分を丸ごと担いで、

支えてくれるものがそこに存在している・・・

しかも、自分を運んで、歩いてくれたりまでする!



重荷ごと、OKです

絶対に見捨てはしません




もし、そう言って生涯を共にしてくれる存在がすべての人間に

いることを知ったら、生きることがどれくらい安らかで穏やかに

なれるだろう・・・


それはもちろん、外側にいる他者ではなく

実は自分自身の身体なのではないかと思うのだけれど・・




そして、勝てそうにない最後の決戦に向かう軍勢に

アラゴルンが静かに微笑んで言い放つ



「フロドのために」




人間は、自分自身のためだけに戦って生きられるほど

やっぱり強くはなく・・



けれど、誰かのため、何かのため、

カタチにならざる何ものかを守るため

自らを守るためでなく

真に価値あるもののため

その命を賭けられるのならば

地上に在る短い時が

ただ生きて死ぬだけを意味するものではなく

ここに生まれて在ることが

なにものかの意志によって約束された

故あっての命であることを信頼できる・・




身体と命は使いよう



何に使うことも自由であることは確かで

負わされた宿命も

担うべき使命も

本来は、たぶん どこにもない



それでも、なんだかそんなものが

あるように思えるのなら

それは最高の贈りもの



それこそはまさに

命が地上に生まれた目的

地上で見つけ得る最高の宝



人間が蛮獣オークと根本的に違うのは

それがあるかないか、その一線でしかない気がする




貧相で貧弱な人間を勇者に変え得る魔法



自らの意志で選択すること



絶望に立ち向かい得る最後にして最強のパワー

希望への扉を開け放つ最高にして最善の力





映画では、最後に指輪を葬ったのは

人間の意志ではなく、指輪への執着で

エゴが自滅した・・という感触の終わり方だった



ああ、人間はやっぱり、それほど強くない

けれど、それほど弱くもない




「こういうものである」と決め付けることのできない

人間という存在の儚さと曖昧さ




絶望する力と希望をもつ力の両方を併せ持ち

強いことと弱いことの両極を知り

両極の間に揺れ動く悲しみをも知る

まことに妙なる宇宙の神秘



人間 人類 



その本質とは

いったいなにものなのでしょうか・・